道化歴5年の僕が明るく賑やかな笑いに必要な事を考察してみた

前提として

個人的に「明るくて賑やかな笑い」に必要な事として、特に重要な事が4つほどあると思った。

それを箇条書きにしたものを下に書いておいた。

1 言葉の分かりやすさ

2 発言の量の多さ

3 リアクションの大きさ

4 その場のノリに合わせる力

この4つだ。では、詳しい解説をしていく。

 

詳しい解説

 

1 言葉の分かりやすさ

結論 基本的に言葉は分かりやすいほうが良い

では何故、分かりやすい言葉が明るくて賑やかな笑いで
大事かという事を説明していく。

そもそも、この類の笑いは発言量が多くなる。

そうなると、必然的に言葉を言うために考える時間や
言葉を理解するために考える時間の長さが短くなる。

一回一回の言葉のやり取りの時間が短いといった制限の中で
言葉のどの要素が一番必要かを考えてみる。

すると、言葉の分かりやすさという要素が重要になってくるのだ。

そもそも、会話というものは
相手の需要を満たす事を考える事が重要となるから。

例えば、明るくて賑やかで目まぐるしい流れがある会話の中で、
一人だけ好んで難しい表現を使っている人間がいるとする。

すると、周りの人間が言葉を理解するためには少し時間が必要となる。

そうなると、言葉を理解するタイミングで静寂の時間が出来てしまう。

しかし、さっきも言った通りこの会話は明るく賑やかで目まぐるしい流れがある。

目まぐるしい流れがある会話で静寂の時間ができるのは
テレビの放送事故と同じくらい良くない事だ。

この類の会話の中では、
ほとんどの人間が難しい表現を望んでないし
そこまで考える余裕がない。
因みに、自分もそこまで考える余裕がない。

だからこそ、言葉の分かりやすさが重要になってくるのだ。

2 発言の量の多さ

結論 基本的に発言の量が多いほうが良い

では何故、発言の量が多い事が明るくて賑やかな笑いで
大事かということを説明していく。

明るくて賑やかな笑いでは積極性が大事になってくる。

なぜなら、賑やかということは
皆がしっかりと発言しているという事の裏付けであり、
そんな賑やかな空気の中で消極的だと埋もれてしまうからだ。

積極性は発言量の多さに比例していくと思う。
もっと言うと、積極性は発言に挑戦した数の多さに比例すると思う。

一応言っておくと、不必要な時に発言するのを僕は推奨している訳ではない。

ただ、必要な時に発言しない方が致命的だと思う。

なぜなら、発言しないということは行動に起こしていないということだからだ。

一応、不必要だとしても発言するということは
行動しているという訳だから、そこから学びがあるということだ。

それに対し、怖がって必要な時にも発言をしない事は
何か学びを得ることを放棄していることになる。

もっと言うと、必要な時に発言を全くしないという事をしていると成長がないのだ。

だからこそ、僕は積極的に発言をしてほしいと思っている。

ありきたりな事を言うようで申し訳ないが、
やはり失敗して学ぶことはすごく大事だから。

3 リアクションの大きさ

結論 基本的に大きいほうが良い

では何故、大きいリアクションが明るくて賑やかな笑いで大事か
という事を説明していく。

そもそも、明るいにぎやかな空間を想像してほしい。

そんな中で相手が自分に対してリアクションを欲している時は
必然的に自分に注目が集まる。

自分に注目が集まるという事は相手の需要を自分に満たしてほしいという事だ。

また、明るくて賑やかな空間にいることを考慮すると、
大きなリアクションを取らないと
明るくて賑やかな雰囲気に埋もれてしまうことが多い。

それに、相手も小さく静かなリアクションは
求めていないという事は考えたら分かるはずだ。

即ち、自分が大きなリアクションを取れば
明るくて賑やかな雰囲気に埋もれてしまうという心配もないし、
相手の需要も満たすことが出来て一石二鳥なのだ。

例えば、お祝い事のサプライズを自分が受ける時を思い出して欲しい。

その時の雰囲気は明るくて賑やかな事が多い。
そして、その時は自分に注目が集まっている。

サプライズのお祝いでリアクションが自分の反応が薄かったら、
相手もいい気持ちにならないだろう。

その場の雰囲気も微妙な雰囲気になるだろう。

なぜなら、自分のリアクションを見る相手の需要である
「自分(リアクションを取る側)が大きなリアクションを取る事」
を満たしていないから。

何が言いたいかというと、
相手の需要を満たすためにもその場の雰囲気を壊さないためにも
大きなリアクションは重要であるという事だ。

4 その場のノリに合わせる力

結論 その場のノリには合わせないといけない

では何故、明るくて賑やかな笑いには
その場のノリに合わせる力が必要かという事を説明していく。

一応言っておくと、
その場のノリに合わせる力は「大事」とかではなく
「必要、必須」であり最重要事項なのだ。

それを含めて説明していく。

先ず、明るくて賑やかな面白さのある会話に
参加する人(話す側も聞く側も含む)が何を求めているかを考えていきたい。

すると、本質的には話す側も聞く側も全員が楽しさを求めているはずだ。

なぜなら、そこに「明るさ」と「賑やかさ」による「面白さ」があるから。

もっと言うと、そこの会話に参加する人は
「明るくて賑やかな面白さ」が大好きで、
みんなその面白さを求めているのだ。

例えば、そんな中で一人が場の雰囲気を壊すような発言をする。
そうなると当たり前だがその場の空気は凍る。

勿論、その凍った空気が今までのような
「明るくて賑やかな面白さ」に満たされた空間とは
程遠いことは少し考えたら分かるだろう。

もう一回言っておくと、その会話に参加する人間の全体が
「明るくて賑やかな面白さ」を求めている。

という事は、場の雰囲気を壊すような会話を暗く、
静かにする発言は全くと言っていい程求められていないのだ。

もっと言うと、場の雰囲気を壊す発言は基本的にタブーなのだ。
あってはならないのだ。

ここの記事の「2 発言の量の多さ」のところで
「積極的に発言してほしい」と言ったが、
それは場の雰囲気を壊さずにノリに合わせる力がある程度付いてからの話である。

とにかく場の雰囲気を崩さないという事を最優先してほしい。

場の雰囲気を壊さないためには、
口酸っぱく言っている事ではあるが、
会話の相手の需要を考えることが凄く大事である。

だから、会話の相手を常に見てほしいと思う。

何が言いたいかというと、
その場のノリや雰囲気に合わせる力が
明るくて賑やかな笑いには必要であるという事だ。

 

最後に

明るくて賑やかな面白さに必要な事として、
「言葉を分かりやすく」とか「発言の量を多く」とか
「リアクションを大きく」とか「その場のノリに合わせる」
とかを書いてきたと思う。

一見すると項目が多いと感じるかもしれないが、
常に本質にある事としては
「相手をよく見て、相手の需要を満たしてあげる」という事だ。

本当に明るくて賑やかな面白さに必要な事は、
相手の需要を満たしてあげる事だと僕は感じている。

だからこそ、この記事を読んでくれた方々に言いたいのは
「会話している相手の需要を満たしてあげよう」という事だ。

最後に、会話をするときに考える事として、
「1に相手の需要、2に相手の需要」といった感じに考えてほしい。

 

以上です。長い文章でしたが最後まで読んで頂き有難う御座いました。

 

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