リスペクトのない弄りしかできない人間は悪魔である

前提として

僕はこの世で一番嫌いなタイプの人間は
どんなタイプの人間かと聞かれたらこう答える。

「リスペクトのない弄りしかできない人間」が
この世で最も嫌いだと。

本当に嫌いだ。ゴキブリとは比にならない程嫌いだ。

しかし、弄る対象に対して
リスペクト精神を持っていない人間がこの世には山程いる。

実際に僕も人生でほかの人間の何倍も何十倍も
リスペクト精神を感じない弄りを受けている。

そのたびに人間界に絶望している。

この記事ではこのような人間が
何故人間として終わっているのかを書いたので読んでほしい。

 

リスペクトのない弄りしかできない人間が
人間として終わっている理由

1 弄る対象の事を考えていないから

2 弄る対象に拒否権を与えないから

3 不愉快で面白くないから

こういった三つの理由がある。下に詳細があるので読んでほしい。

 

リスペクトのない弄りしかできない人間が
人間として終わっている理由の詳細

1 弄る対象の事を考えていないから

そもそも、リスペクトのない弄りをする人間の思考を推測してほしい。

弄る対象にリスペクトのない弄りをする人間が
弄る対象や周りの事を考えているわけがない。

もっと言うと、自分と自分の取り巻きだけが
笑っていればそれでいいと思っている。

弄るなら弄る対象の事を考えないと
虐めになるのを分かっていないかもしれないが。

そもそも、弄りとは弄る相手にリスペクトを持って
双方が快の気持ちにならなければいけないものなのだ。
それでいて、関係性を築いていないと通用しない代物なのだ。

他人を弄る人間は弄る対象の事を常に考えて、
快の気持ちにさせるようなユーモア等を交えながら
弄らないといけないのだ。

だから、相手への気配りとかリスペクトとか関係性が
何より重要になってくるのだ。

しかし、リスペクトのない弄りをする人間は
相手への気配りとかを度外視にして弄ってくるのだ。

弄りに大切なものを度外視にされた弄りを受ける側は
弄られている自分へのリスペクト精神が欠けているのが
すぐに分かってしまうものだ。

まあ、弄る対象にすらリスペクトしない人間が
この行為の事を万死に値する事だとは思わないのだろうけど。

実際、弄る対象にリスペクトを持たない人間は
人類を冒涜しているといっても過言ではない。

何が言いたいかというと、
相手の事を考えられない人間が
本当の意味での弄りなんて出来る訳がないという事だ。

そんな人間はもう二度と人を弄らないでくれ。

 

2 弄る対象に拒否権を与えないから

これは意外かもしれないが、
リスペクトのない弄りをする人間に限って
弄られている側に拒否権を持たせない。

何故かというと、上でも挙げたことだが、
弄る側は自分と自分の取り巻きが面白ければ
それで良いと思っているからだ。

では、どのようにして弄る側の人間は
弄りに拒否権を与えないようにしているのかをまとめてみた。

一番多い手段が大人数で弄る事だ。
これは弄る側の意見を大多数にする事で
弄りに拒否権を与えないようにしている。

次に多い手段が弄る側に抵抗させない事だ。
これは弄られる人間を力でねじ伏せる事で
拒否権を与えないようにしている。

手口としてはこんな感じだ。
やっている事はまんま独裁者と同じなのだ。規模が違うだけで。

次に、何故、弄る対象に拒否権を与えないと
道徳的に良くないのかをまとめてみた。

答えとしては
「弄る側に力が偏って暴走することが出来てしまうから」だ。

弄られる側に拒否権を与えないという事は
弄る側に全部の権力を渡しているという事と同義なのだ。

そうなると当然、弄る側に力が偏る。

二つの人間関係の一方に力が偏ると力を持った方が暴走する。

弄る側の人間が暴走するとどうなるかというと、
道徳とかを完全に無視した弄りが横行する。
そこに基本的人権なんて概念はあるわけない。

弱い立場の人間に拒否権を与えないとか絶対王政かよ。
絶対王政の方がマシまである。
とにかく考え方が古すぎる。白亜紀かよ。

我らは令和を生きる人間であるのだから、
弄る側に拒否権くらい与えるべきだ。

 

3 不愉快で面白くないから

弄りに相手へのリスペクトや弄りの拒否権を与えないというところから
分かると思うがそんな弄りは不愉快である。

そもそも面白さというのは
相手を快の気持ちにさせて初めて成り立つものだ。

不愉快さと面白さは日本とブラジルくらい対極の位置にあると言える。

とにかく、リスペクトのない弄りは不愉快だし、面白い訳がないのだ。

しかも、リスペクトのない弄りをする人間に限って
ユーモアセンスというかギャグセンスというかが欠けているのだ。

考えてみればその通りで、
本当に面白い人間だったら相手にリスペクトを持っている。

リスペクトを持っているから
相手の事をよく見て適切な弄りやツッコミ等の行動ができるのだ。

ユーモアセンスがない人間が
リスペクトに欠けた拒否権のない弄りをするところを
想像してみてほしい。

弄る対象にリスペクトが無い時点でなかなかに終わっているのに、
ユーモアセンスがないから場の空気を悪くする一方だ。
そんな弄りに更に拒否権が無いとなると、
地獄という言葉で形容する他なくなる。
言葉通り、地獄なのだ。

そんな地獄のような弄りをする人間に限って、
本人は面白いと思って弄っている。
無知の知をいう言葉を知らないのだろうか。

何が言いたいかというと、
弄る相手にリスペクトを持てない時点で
他人を弄る資質が無いのだから大人しくしておけという事だ。

そんな人間は二度と俺を弄るな。
はっきり言って、不愉快だし面白さのかけらもない。
さようなら。

 

最後に

弄る対象にリスペクトの一つすら持てない人間程、
自分の事を面白いと思っていることが多い。

無知の知の境地すら達していない人間が面白い訳がない。

はっきり言って、
現実世界はとことん歪んでいると言ってしまって差し支えない。
この世界は歪んでいる。

弄る対象にリスペクトを持てない人間は
人間全体の幸福のために大人しくしてほしい。

何故なら、リスペクトのない弄りしかできない人間は
悪魔どころか破壊神と同じくらい平穏な世界を壊すから。

僕は心の底からこんな人間を増やさないで欲しいと思っている。
本当に増えないでくれ。

頼む。頼む。頼む。くわばら、くわばら。

 

以上である。

 

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