中学三年間、下ネタ禁止縛りした話3(まとめ編)

中学三年間下ネタを禁止した理由とその効果とまとめについて話していこうと思う。

今回は下ネタ禁止縛りシリーズの3作目のまとめ編である。

下ネタ禁止縛りのまとめ

まとめとしては、下ネタ禁止縛りをする前に予想していた結果とかなり被った。

最初に言いたいこととして、
下ネタを封じることで周りから妨害が
めちゃくちゃ入ったのは事実だ。

だが、それでも昔と比べると
僕の人を笑わせる力は格段に上がったのだ。

例えば、より走れるようになるために
意図的に足とかに重りをつけて走っている人がいる。

その人は重りという走りを妨害するものをつけることで、格段に走る力を上げることが出来るのだ。

それと同じように僕は下ネタ禁止縛りという笑いを妨害するものを設ける事で、
笑わせる力を上げたのだ。

実際、下ネタ禁止縛りを辞めた高校2年生の頃、
下ネタ禁止という重りを捨てた瞬間があった。
(ここで高2と書いてあるのは実際には中学生活終わってからも自主的に下ネタ禁止縛りを続けていたからである。)

その瞬間に下ネタ禁止縛りをする前と比べて、
明らかに笑わせる力が上がっている事に気が付いたのだ。

その時、「挫折や苦しみを乗り越えた人間は強くなって帰ってくる」
という事を思い知らされた。

次に、正々堂々と正攻法で人間を笑わせる力を
身に着けた事で自分に自信が付いたのだ。

やはり、正攻法で大変な事を成しえたという事は自信につながるものだ。

今までの自分は正攻法で何かを成しえたことなんてなかった。
そもそも、続かない事が多かった。
仮に結果を出しても結果を出した方法はいつも汚いやり方だった。

正攻法で力をつけたという自信が付いたことで、
ほかの事も正攻法で挑戦してみたいという気にもなったし、
そこで身についたチャレンジ精神により色々な事に興味が持てるようになった。

ただここで間違えてほしくない事として、この自信を濫用したくないと思っている。

なぜなら、こういった正攻法で事を成しえたという自信を
一人が濫用するだけでマウントの取り合いになるからだ。

話は逸れたが、
何が言いたいかというと、
自信が付くことで自信を手に入れたという事実だけではなく、
チャレンジ精神などのいろいろな付加価値までついてきたことが
自分にとってとにかく嬉しかったのだ。

最後に、
自分が中学三年間下ネタ禁止縛りをやってみた感想のまとめとしては、
得られるものが多かったが失うものも多く
マネは覚悟のある人間以外はしてほしくないと思った。

ここまでの上の二つの感想は綺麗事しか書かれていないが、
やはり失うものが多かったのも事実だ。

中学校で下ネタ禁止縛りをやると、当然目立つ。

そのせいで、デマはめちゃくちゃ流されるしきつい弄りは受ける。
そのせいで精神は壊れていったのだ。

精神が壊れた理由をもう少し詳しく説明すると、
デマを流されることやきつい弄りをされることで
人間の闇や暗所をこれでもかというくらい直視させられるからだ。

ずっと恥を捨て去らねばならない事で
自分に対しての人間としての尊厳を忘れるし、
人間の闇を直視させられる事で精神は崩壊する。

はっきり言って、この中学三年間下ネタ禁止縛りの生活は
自分の我慢と無理ありきで成り立っているところがある。

精神的な健康に限らず、健康は生きていく上で何より大切だ。
そもそも、笑いは生きやすくするための道具にすぎない。

ただ、この縛りは本質的な面白さを追求するあまり健康を度外視している節がある。

だからこそ、本当に面白さの本質に近づく必要性がある
道化になること以外で生きていくことが出来ない人以外はマネしないでほしい。

僕は学校内で生きていく上で道化になる必要があったし、
面白さの本質に近づく必要があった。
だから、こんな鬼畜な縛りをした。ただ、それだけの話だ。

くれぐれも覚悟がない人間が僕の真似をしないように。

 

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